今日は、私が好きな東神大の景色をご紹介。
東神大生の約半数が住む学生寮からの景色です。
かすかに十字架が見えるんですが、分かりますか?
本館の中心に掲げられている十字架です。
毎日、カーテンを開ける朝、カーテンを閉める夜、この十字架を見ながら思い出すのです。
イエス様がこの世界のために何をしてくださったのか。
私たちのために、私のために、何をしてくださったのか。
あれやこれやと悩みが尽きない毎日ですが、十字架を見る度に、立つべき場所に立ち返らされます。
『神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。』
(コリントの信徒への手紙一 15章10節)
今日もいつものように十字架を見ていると、この御言葉が思いの中に与えられました。
そうだった。ああ、そうだった。
そうだった。ああ、そうだった。
尽きない悩みも、無駄に思える働きも、神の恵みへと変えられる尊い景色、十字架。
肩の力が抜けて、ふと口ずさんだのはこんな歌でした。
十字架のもとへ行こう
すべての重荷下ろし
十字架で死なれた主
わたしの代わりに
わたしの名前呼んでいる
腕を広げて
私の罪と恥を取り去る
主イエスの十字架のもとへ
あ、私が作ったのではありませんよ。「I come to the cross」という賛美の日本語版です。
高校時代を振り返ると、将来について、人生について、自分について・・・人それぞれ内容は異なるけど、誰しもが悩みを抱えて葛藤していました。でも本当に思ってることを誰にも言えなかったな〜。
葛藤をモヤモヤ抱えたまま、とりあえず日常を忙しくこなすしかなかった。本当にこれでいいのか、と思いながらも、周りに取り残されないように勉強しないといけなかった。
葛藤をモヤモヤ抱えたまま、とりあえず日常を忙しくこなすしかなかった。本当にこれでいいのか、と思いながらも、周りに取り残されないように勉強しないといけなかった。
腕を広げたイエス様が、そんな高校生一人一人の名前を呼んでいらっしゃるんだなぁ・・・と思わされた時間でした。
高校生の皆さんと共に十字架の下に集められる日、「高校生会@東神大」。
全ての重荷を下ろして一日を過ごしに来てください。一人でも大丈夫。
本当の安らぎと本当の力がここにあります。本当の仲間がここに集められます。
等身大でいこう。東神大で憩う。
腕を広げたイエス様と、イエス様のおもてなしに仕える東神大生が待っています。
全ての重荷を下ろして一日を過ごしに来てください。一人でも大丈夫。
本当の安らぎと本当の力がここにあります。本当の仲間がここに集められます。
等身大でいこう。東神大で憩う。
腕を広げたイエス様と、イエス様のおもてなしに仕える東神大生が待っています。
十字架を見ながらお祈りしています。
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