2012-10-09

高校生会まで後25日。

ある夜の東京神学大学前ポストさんと公衆電話さん


 東京神学大学という大学は非常に小さな大学である。


 日本で最小の大学と呼ばれるに相応しい省エネ設計であり、日本の誇る携帯電話に代表される縮小化産業の生み出したひとつの美学とも言える理想の設計である。当然そんな設計思想には基づいてはいないが。


 しかし、その小ささゆえに多くの弊害が生まれることがある。みなさんにもあるだろう。携帯電話をなくした時に誰かに頼んでコールしてもらったら、プリントやら服やらの混沌の海に沈んでいましたとかいう経験がありはしないだろうか。
 だから携帯電話というものは私には信用できないんだ、第一なんで人と人との接点をいつでもどこでも持たなくてはいけないんだ。人間関係は人と人とのすり合わせである。人間同士も摩擦が過ぎればお互い削れていくものである。本当に気の会う人間同士でなければ大抵は我慢できなくなる。そんなものを助長してどうするんだ。人類を敵対意識で結ぶ為に作られた近代兵器なのではないだろうか。


 私のどうでもいい携帯電話嫌いの話はともかくとして、とにかく小さいゆえにこの学校は探しづらい。かく言う私も東京神学大学への入試前に現地視察という名目で訪れたことがあるが、危うく隣にあるルーテル大学と間違えるところであった。受ける大学間違えましたとか、そんなのは洒落にならない。高校生諸君にはぜひ気をつけてもらいたい。


 そもそも東京神学大学という大学の立地条件について話さねばならないが、この学校は花の国際キリスト教大学とルーテル大学に隣接している大学である。知らない人からすれば「えー、なにここー。大学なのー」とか、「え、あれって国際キリスト教大学じゃなかったんですか!?」とか、「HAHAHA! NICE JOKE!」と言われかねないほどに軽量化されている。



 それならば私達の何人かは道に迷うしかないのだろうか。いや、我々は皆共に、一人も欠けることなく東京神学大学に着こうではないか!



 そんな方々に紹介したいのが本日用意させていただいた写真に写っている東京神学大学前ポストさんと公衆電話さんである。


 都会のコンクリート・ジャングルを背景に互いに背中合わせになって佇む勇姿はそれだけで全国のポストファンおよび公衆電話マニアの狂喜乱舞、欣喜雀躍間違い無しといったところであるが、彼らの果たす役目はそれだけではない。

 彼らはルーテル大学と東京神学大学、それぞれの門の間に常に立っている。東京神学大学の人々もルーテルの人々も彼らへの挨拶を忘れない。朝のおはようと夕べのお疲れ様でしたは両大学にとって名物とも言えるものであり、近隣の人々はこの姿に新たな朝の訪れと一日の終わりの憂愁とを感じるという。


タクシー車内における「あ、そこの角曲がって、ポストのところです。」とは東京神学大学の場所を的確に表すために用いられる言葉であり、その起源は古代の神学者アウグスティヌスの”a,sokono kado magatte, posuto no tokoro desu .”という言葉に遡るといわれている。(出展不明)


西野のバス停を下りて上を見上げて歩いていれば、神学大角と呼ばれる”いかにも”な信号下の標識を見つけることができるだろう。そこを曲がればあとは彼ら、東京神学大学前ポストさんと公衆電話さんに出会うまで突き進むのみである。

ちなみにこの写真のアングルは東京神学大学側の門の前で取ったものであるので、この写真のアングルを参考にして門をくぐってもらえば間違いないと思う。


東京神学大学に多くの人が来てくださることを願っています。   狩野


※尚、この記事には一部事実無根の情報も含まれている為、Linkの項目から行ける素敵で正確なアクセス紹介を参照することをお勧めする。参加前には要チェックだ!

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